OLの魂いつまでも

6年前の春、アシストの社長になりました。何の前ぶれも無い、突然の社長交代です!

驚きました。動揺しました。でもそれ以上に私の心を占めていたのは怒りの感情です。

何の話し合いも無いまま社長交代を決めた現会長に対して、私はただただ腹を立てていました。

思えばあの頃の私を支えていたのは、この怒りの感情。緊張の連続で突然呼吸が苦しくなったり、次々とやってくる難題に気が遠くなったとき、私の頭にはこんな言葉が響いていたのです。

「 絶対に乗り越えてみせる!会長の助けなど借りるものか!! 」

腹を立てると私にはスイッチが入ります。 6年前の社長交代劇は私の性格を心得た会長の演出だったかも知れません。( 恐らく「なりゆき」だったと思います  )

新米社長としての一番の悩み…それはアシストに「経営理念」が無いことでした。夫婦二人で創業したアシスト。そこで二人が大切にしている思いは何となく分かる気がする。でも、いつまで経っても 「何となく」のまま。

毎月のスケジュールや数字に追われながら、経営理念を言葉にしたい!ともがいていました。中小企業家同友会の勉強会に出たり、本を読んだり、経営者の話を聞いたり。ずっとずっと悩んでいたとき、ある日この言葉が頭によみがえってきたのです。

人を愛し、国を愛し、勤めを愛す

これは私がかつて勤めていたリコーグループの創始者、市村 清さんの言葉です。三愛精神と呼ばれ、会社の壁には市村さん直筆色紙のレプリカが飾られていました。入社して最初にこの言葉と対面したとき「勤めを愛す」という言葉に衝撃を受けました。

それまで私の仕事に対するイメージはお金をいただく手段。 自分の仕事を愛するなんて考えたこともありません。でも何度もこの言葉を読み実際に仕事をしてゆくうちに、私の中にも仕事を愛する気持ちが芽生えきました。そして仕事を愛するとは、なんて素晴らしいことなんだろうと思えるようになりました。

たった4年3ケ月、最初で最後の私のサラリーマン時代。私の心の奥に三愛精神が刻み込まれました。三つ子の魂百までならぬOLの魂いつまでもです。

三愛精神を軸に考えたアシストの経営理念は、今年ようやく言葉になりました。
その言葉を胸に歩んでゆきます。

4年3ケ月のOL時代 ↓

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1959年千葉県生れ札幌育ち。事務員をするつもりで就職した会社でSE部門へ。精神と体を鍛えられつつ仕事の楽しさを知る。1986年、結婚を機に来た釧路で株式会社アシストを創業。以来 『仕事をもっと楽しくするには?』 に知恵を絞る。 2014年に 『葉子の部屋』 を、2015年に『つながり空間まめ』をアシスト内にオープン。テーブルを囲んでのお喋りから多くを学んだ子供時代の経験を仕事にも生かしたいと試行中。 絵を描くこと、モノを作ること、自然の中に体を放り込むことが好き。

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