あと何回、こうして実家で夏休みを過ごせるのかな…13日の午後、釧路から札幌に移動する車の中でそんなことを考えてました。
お盆とお正月に『帰省する』って日本文化の一つですもんね。私も結婚以来ずっとこの時期に帰省してます。もう31年も。
でも、たぶん数年でこの帰省にも終わりが来るんだなぁ。今朝目が覚めてから、今度は布団の中でまた同じような事を考えてました。
父は来年1月には94歳で、サヨナラする日がそう遠くない。考えたくないけどそれが現実…
永遠じゃないから愛おしくて切ない
今まで使ってきた古びたこの部屋。やがて無くなるのかと思うと急に愛おしく感じちゃう。
父が手をかけてきた庭。これは荒れ果ててゆくんだろうなと思うと切なくなる。
カタチあるものはいつか無くなる。それはもう仕方のないこと。仕方のないことだけど、せめて父が生きている間だけは、そのカタチを少しでも留めておきたい。
そう思って、今日は私『にわか庭師』(早口言葉みたい…)になりました。
炎天下、枝や葉を切り落とす作業って結構大変なんですよ。切り落とした後の木や垣根のカタチを想像しながら鋏を入れなくちゃいけない。暑さの中で立ったり、しゃがんだり、登ったり、這いつくばったりで、汗が滝のように流れ落ちる。切り落とした枝や葉の後始末もやらなくちゃいけないしね。それなりに体力が必要なんです。
これも老いた父のためだもの。父と過ごせる時間はもう数年しか残っていないんだもの。父に『何かやって欲しいことある?』って聞いたら『剪定作業だな』って言うんだもの。多少しんどくてもやるわって、少しセンチメンタルな感じで庭に出たんですけどね…
初めのうちは。
現実には腹の立つことばかり
私が庭に出てしばらくすると、気になるようで父も来ました。切り落とした枝や葉の始末を手伝い始めます。
すると…父には父のやり方があるワケです。そして私にも私のやり方があります。
暑い中での作業だから、私は効率的にチャッチャとやりたい。一方、父には父の『美学』があって、たとえ捨てるものだとしても美しく始末したい。両者の主張はかみ合わない。
私『パパ、そこまでしなくても大丈夫だから…』
父『…』
耳が遠いから私の言葉が届いていないのか、黙々と自分のペースで作業を続けていく父。次第に私はイライラして腹が立ってきました。
私『もーーーっ、そんなに気になるなら後は自分一人でやって!』
自分が使った道具の後始末をして、先に庭師作業を切り上げてしまった私。上の言葉は心の中で言っただけで、口にはしませんでしたけどね。
まぁ、これに限らず帰省するたびに些細なことで腹を立ててます。
『どうしてこういう事するかな~?』って、心の中で父に何度も言っちゃってます。
シアワセはその人の心が決める
ふと、10年前まで一緒に暮らしてた今は亡き義母のことを思い出しました。お互い似た者同士だったから、何度も何度もハゲシク衝突したな~ 私の腹の中は毎日グツグツ煮え立ってた。
心の中だけじゃなく、口に出して義母の悪口を言ってる自分がすごく嫌になって、10年前に義母との別居を決めたんだった。
その時に思ったんです。私が客観的に見てゼッタイにこうする方がいいって思ったって、本人がいいって思わなかったら意味ないんだって。
私はこんなに相手を想って、こんなにやってるのに…って言ったって、相手が望んでないんだから、余計なお世話。あいだみつをの言葉じゃないけど『しあわせは自分のこころが決める』なんだよねって。
父はすべてを自分でやることは出来ない。だからと言って、手伝ってもらっている以上こちらの言う通りにしなさいは通用しないのよね。義母が生きていたときは何度となく自分に言い聞かせていたのに、喉元過ぎれば熱さを忘れるだわ(苦笑)
あぁ、こうして文字にして思うけど、逆の立場だったら自分もそうされたくないって感じます。
愛しさと切なさと腹立たしさが日々グルグルしてるのが老親との日常なんでしょうね。何だかんだと書いたけど、父は私の人生に一番影響を与えてくれた人で、考え方の基礎を作ってくれて、いつも愛情たっぷりに接してくれて、大好きな人であることは揺るぎません!!
ということで、今回みたいにいろいろあっても別れ際はいつものインカメ。そして、10日後にまた会いに行きます。
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