私が今の住まいを買って移り住んだのは今から9年前のこと。
夫は高台に住みたいという希望があったようですが…最終的には海に近い平地、ここ浪花町(なにわちょう)に住むと決めました。
通勤が楽とか、義母の住まいに近いとか、除雪が楽とか、ここに決めるには物理的理由がいくつかあったんですが…それらをぐーーーんと引き離す圧倒的な理由があったんです!
それは…あの人のそばで暮らしたいから。
何だかワケアリ女性の言葉みたいですね(笑)
この言葉に妄想を膨らませた方の期待を裏切りますが…
『あの人』っていうのは5歳年上の女性です。
↓2001年9月、彼女と一緒に登った西別岳での一枚
結婚して間もなくアシストを創業した私。
気が付けば仕事中心の毎日で、交流があるのは取引先の男性ばかり。
女性の話し相手といったら、共に暮らしてた義母くらいしか居ません。
そんな暮らしが10年以上続いたある日、あの人、Мさんと出会いました。
女性の友達がほとんど居なかった私は、それまでの時間を取り戻すかのように
毎日のように彼女にメールして
電話して
一緒に食事して
お酒を飲んで
映画や芝居や洋裁を一緒に楽しんで
旅行に出かけて
たくさんのステキな女友達と引き合わせてもらって
喜びも、悲しみも、悩みも、分かち合わせてもらったんです。
そんな彼女の近くに移り住みたい。
これから先、お互いにお婆さんになっても気軽に行き来できる場所で暮らしたい。
お互いの夫は旧知の仲。
これから先ずっと、ご近所同士として助け合って暮らせたら最高!
そう思って、この場所に住む決心をしました。
でも…私がここに引っ越した数ケ月後にMさんに病が見つかり、さらに一年ちょっとが過ぎて、彼女は帰らぬ人になりました。
↓Mさんは今、母と一緒にサイドボードの上で笑ってます
今から25年後の西暦2040年、釧路市の人口は今の三分の二以下になって12万人を下回るかも知れない。
釧路に生まれ育っても釧路を離れてしまう人がたくさん居て、人口の減るスピードが他のマチよりも早い。
先週、ある勉強会でそんな話を聞きました。
働く場所、学ぶ場所、医療、家族などなど釧路を離れる理由は人さまざまだと思います。
じゃあ逆に暮らし続ける理由はと言えば…働く場所や家・土地があることも大きいけれど、家族や友人という、共に暮らしたい人がここに居るからが凄く大きい。
少なくとも私は、それが圧倒的な理由です。
自分や次の世代の人にとって、釧路が暮らし続けたい場所であるには政治や行政レベルでやる事もたくさんあります。
だけどそれだけじゃなくって、自分がこの土地で一緒に暮らしてゆきたいと思われる人になる。
いや、順番が逆かな?
ここで一緒に暮らしてゆきたいと思う仲間を、自分が見つけるのが先かもね。
そうやって互いが大切な存在になることが、地域が生き続ける根になるんじゃないかな。
Mさんの命日でもないのに急にこんな事を考え出したのは何故だろう?
お彼岸が近いからかも知れないですね。
Mさんはもうこの世には居ないけれど、彼女がつないでくれた人と一緒に、私はここに暮らし続けたいです。
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